柴野大造 能登町ストーリー 2019年10月18日(金)25日(金/再放送)午前8時~8時30分

世界ジェラート大使・ユネスコ平和メッセンジャー・能登町ふるさと大使の柴野大造さんが、レポートや取材を元に、能登町の暮らし、自然、観光情報等をお届けします。世界農業遺産に認定された里山里海や、地域が育んだ豊かな自然や文化の中で生活する人々の姿を全国に発信し、魅力の創出とふるさと再発見につなげるものです。レポーターはハンディやしき、ナビゲーター綿谷尚子。

[今回の放送] 鵜川地区界隈の祭礼や歴史紹介 [出演] 鵜川の菅原神社宮司・梅田真人さん。インターネット放送はこちらから  

 

 

「いどり祭」

 

晩秋の能登町。11月7日夜。鵜川の菅原神社では、大鏡餅をけなしあう「いどり祭」が開催されます。用意された直径1.2メートルの大鏡餅を前に、来年の餅を造る当番は、今年の餅やお膳の餅などについて様々な難癖をつけ、悪口・・「いどり」が始まります。

 

地区の氏子はさんざんに悪態をつき、対する方はいろいろ弁解しますが、容易に治まらないので神主が仲裁に入って話が治まるという珍しい神事です。今年の餅の悪口を言うことで来年の豊作を願います。

 

祭りは500年続くとされ、いどりと弁明はユーモラスで、見る人の笑いを誘います。祭りは、石川県の無形民俗文化財に指定されています。

 

 

 

「にわか祭」

 

能登町鵜川では、8月24日土曜日に「にわか祭」が開催されました。にわか祭りは鵜川の地で古くから伝わる祭礼で、「にわか」と呼ばれる袖キリコは、高さおよそ7m、幅5.4mのユニークな形状で御幣を使って神様を乗せているのが特徴です。その昔、不漁や海難事故が続いたため、海の女神、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)を祀る海瀬神社に豊漁、海上安全を祈り、凛々しい武者絵を描いた行燈をかついで奉納したことが始まりと伝えられています。

 

 

「酒樽がえし」

 

奥能登に春の訪れを告げる愉快なお祭り「酒樽がえし」が4月2日、能登町藤波で行われ、下帯姿の男衆13人が田や海で威勢良く酒樽を奪い合い、豊作と大漁を祈願しました。

 

男集は水田へと進み、泥にまみれながら酒樽を投げ飛ばします。酔いもあるのでしょうか。笑いながら奪い合い、足をすべらせて田にひっくり返る人もいます。時折、樽の中の酒を回し飲みして気合を高めていましたが、なんでも、樽の中で激しく揺さぶられた酒の味は格別なんだそうです。

 

 

 

「久田佐助 船長」

 

皆さんは能登町鵜川に生まれ、青函連絡船「東海丸」の船長で青森湾で殉職した久田佐助(ひさださすけ)さんをご存知でしょうか。

 

明治36年10月29日午後10時。久田船長の東海丸は青森から函館に向けて出港しましたが、津軽海峡の濃霧が海上を覆い、吹雪が吹き荒れていました。東海丸は汽笛を鳴らしながら進行していましたが、突然ロシアの貨物船「プログレス号」が右手に現れて衝突しました。

 

久田船長は、吹雪と轟音や絶叫の中で乗組員を指揮し、乗客・乗員をすべてボートに乗せました。驚くべきことに船長は救助を見届けると、自分の体を沈みゆく東海丸の欄干に結び付け、非常汽笛を鳴らしながら船とともに海に沈んで行ったのです。船長がボートに乗ることは簡単でしたが、北の海で木の葉のように揺れる小舟の人々を助けるには、汽笛を鳴らし、過ぎ去ったプログレス号や陸上からの救援を受かるしかなかったのです。

 

自分の命と引き換えに乗員を守ろうとし、沈み行く船と共に運命を共にした姿に人々は深い感銘を受け、久田佐助は世界の名船長として語り継がれています。海の男の模範、郷土の誇りとしてたたえられる久田船長。最後の姿は唱歌「久田船長」となり、石碑は生まれ故郷の鵜川の菅原神社境内に佇んでいます。

 

 

 

 

この番組は翌週再放送でお送りしています。10月25日にお聞きの方は18日の再放送になります。次回のゲストは、真脇遺跡縄文館館長の高田秀樹さんです。