津幡町歴史物語 後編 2022年3月16日(水)3月23日(水/再放送) ラジオかなざわ ラジオこまつ ラジオななお ラジオたかおか  午前8時30分~9時  

国境(くにざかい)の空に稜線を描く倶利伽羅峠。源平合戦の伝承が中世へと誘います。石川県のほぼ中央に位置する津幡町は、古来より歴史の表舞台に登場し、加賀、能登、越中の三国を結ぶ交通の要衝として発展してきました。人や馬が行き交い、宿場町としてにぎわった町並みは新たな役割を担いながら今日に至ります。長い年月の中で津幡町はどのように築かれたのでしょうか。歴史や先人の暮らしを振り返りその歩みをたどってみましょう。

出演【解説 東四柳史明 金沢学院大学名誉教授】【歴史講談 月亭方気】【ラジオ劇 大輔】【ナレーション 綿谷尚子 浅野美寿々】

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旧河合谷村 禁酒の碑/下記の続きを読むをクリック!項目をご覧いただけます。

項目 〇【津幡を詠んだ人々】津幡の俳人、河合見風は歌人としても有名な冷泉為宏の為広塚を建立しました。さて、その方法とは?〇【禁酒村】大正15年、旧河合谷村で小学校の立て直し計画が持ち上がりました。建設資金を得るために、村人はある嗜好品を我慢することにしました。さて、その嗜好品とは? 〇【加茂遺跡】 加茂遺跡から見つかった加賀郡牓示札(かがぐんぼうじふだ)には農業に励むことや禁止事項が書かれていました。農民は、朝は寅の時(午前3時~5時)に田んぼに出かけ、夜は戌の時(午後7時~9時)に帰ること。この他のお触れもご紹介します。