宝達志水町歴史物語 後編 2023年7月20日(木)27日(木/再放送) ラジオかなざわ ラジオこまつ ラジオななお 午前8時~8時30分  ラジオたかおか 午前8時30分~午前9時 

                         ©宝達志水町

青空を背景にそびえる宝達山。眼下には大海原と歴史を伝える街並みが広がります。海、山とともに生きてきた宝達志水町の人々。能登半島の入り口にあたり、豊かな自然に抱かれたこの町には先人の暮らしや足跡が刻まれています。日本海の豊かな恵みを求めた民は海岸の近くに定住し、山や平地がもたらす恩恵は内陸部に集落を形成しました。海と緑豊かな丘陵地帯。長い年月の中で宝達志水町はどのように築かれたのでしょうか。歴史を振り返りその歩みをたどってみましょう。

 

今回は後編をお送りします。。解説[東四柳史明]金沢学院大学名誉教授、講談[月亭方気]、演劇[大輔]、ナレーション[綿谷尚子]。

インターネット放送はこちらから(放送と同日時にお聞きいただけます)

 内容は下記の続きを読むをクリックしてください。

【放送項目 後編】

十村と岡部家・喜多家 十村とは他藩でいう大庄屋(おおじょうや)に相当するもので、加賀藩の村支配を担っていました。宝達志水町には当時の十村屋敷、岡部家と喜多家が今も残されています。家屋からは土地の有力者だった姿が浮かび上がってきます。

 

 

 宝達金山 宝達山はかつて金の採掘がおこなわれていました。最も多く金がとれた年は大判にして3500枚も産出したのだとか。宝達村の土木技術者は用水やトンネルなどの黒鍬(くろくわ)作業をはじめとして、

藩内で広く知られるようになり、のちに宝達者と呼ばれるようになります。

 

アーネスト・サトウが見た宝達志水町 時は18678年・慶応3年夏、宝達志水町をイギリスの公使代理ミットフォードと通訳のアーネスト・サトウが訪れました。陸路大阪へ向かう二人。サトウはこの当時の様子を書き記しています。サトウは景色に感動し、宿泊した子浦(しお)で料理に満足する様子が伺えます。旅の休憩所にはスイカ、リンゴ、桃が準備され、毛せんを敷くことが命じられました。はてさて初めて外国人を見た沿道の人々の反応はいかに!